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忠信利平 河原崎権十郎 芳幾 Yoshiiku - Kabuki Actor Kawarazaki GonjuroI(錦絵 Nishiki-e)

¥16,500 税込

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Title 「忠信利平 河原崎権十郎」 Kabuki Actor Kawarazaki GonjuroI as Tadanobu Rihei
Artist 落合芳幾 Yoshiiku UTAGAWA [OCHIAI]
Date 1862

Excellent condition

忠信利平 ただのぶ-りへいは、歌舞伎「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の登場人物。
白浪五人男のひとりで,日本駄右衛門の手下。赤星十三郎の切腹をとめ,100両をあたえて日本駄右衛門にひきあわす。河竹黙阿弥の作で,文久2年(1862)江戸市村座初演。別外題は「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」など。講談社デジタル版 日本人名大辞典

落合 芳幾(おちあい よしいく、天保4年〈1833年〉 - 明治37年〈1904年〉2月6日)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。.. 姓は落合、名は幾次郎。画姓は歌川。画号は一恵斎、一蕙斎、蕙斎、朝霞楼、洒落斎、蕙阿弥など。歌川国芳の門下で、月岡芳年とは兄弟弟子(芳幾が兄格)である。一時は浮世絵師として芳年と人気を二分する程であったが、新聞人としてまた挿絵画家として新聞の発行にもかかわった。
天保4年(1833年)4月、日本堤下の編笠茶屋に生まれる。…嘉永2年(1849年)頃、17、8歳で歌川国芳に入門する。安政2年(1855年)、安政の大地震で妻子を失うがこの時の吉原の惨状を錦絵に描き名をあげる。…慶応2年(1866年)には芳年との無残絵の競作「英名二十八衆句」が発行されて人気を呼んだ。慶応3年(1867年)、皎々舎梅崕編の『久万那幾影(くまなきかげ)』の挿絵を描いた。その一方で、開化的なものに興味関心があり横浜絵などを描いた点は芳年とは異なっていた。
しかし芳幾の関心は浮世絵にとどまらなかった。明治5年(1872年)、条野伝平、西田伝助とともに「東京日日新聞」の発起人となり[3]明治7年(1874年)10月には錦絵版『東京日日新聞』に新聞錦絵を書き始め、錦絵新聞流行の先駆けとなる。芳幾は明治8年7月まで挿絵を担当していた。
明治8年(1875年)、「平仮名絵入新聞」(のちの「東京絵入新聞」)の創刊にもかかわりこの新聞で挿絵画家としても活動[4]。また『歌舞伎新報』の発行にもかかわり、明治12年2月の創刊当時から俳優の特徴を写実的にとらえた挿絵を描いた。

Stock Code: 240707beTo

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