2023/02/08 06:20

金沢へ戻りました。

オペラ座展楽しかったので、あれこれ頭の中考えたり思い返したり。


ところで、

現在のオペラ座である、シャルル・ガルニエの建設した建物は、典型的な「歴史主義及び折衷主義」時代の建築物であり、20世紀の「モダニズム」な人々からはファサードの装飾過多を批判的に見られていました。


ただし、ファサードの装飾の下には鉄骨建築が隠れており、建設からまだあまり時間の経っていない時期には、この鉄骨構造の方が大いに注目され、文化人たちに新鮮な印象を与えていたようではあります。私が以前読んでいた1898年あたりのウィーン分離派周辺の資料では、ガルニエのオペラ座を「モダン」と表現されていたように記憶しています。(この辺り、「モダン」が指し示すものがガラリと変わったのは本当面白いと思ってます。)以前私が夢中で調べていたことは、直接的にはウィーン19世紀末の建築についてでしたが、パリのオペラ座も実物を見なければとパリを訪ねたのは良い思い出です。


前述しましたように、簡素なモダニズム建築の地位が高まり出してからは、過去に対しては表層ばかりに目が向けられ、パリオペラ座のような19世後半の建築物は過去の遺物として忌み嫌われました。モダニズム運動の参加者たちが血気盛んに過去を否定してみせたため、言説だけがしばしば一人歩きしていたり。

 

 ドイツ人で、ガルニエと同時代の超重要建築家といえば、ゴットフリート・ゼンパーです。

とにかく大御所であり数々の建築物を建てたばかりでなく(ウィーンの環状通りの複数の建物も彼によるもの)、建築(正確には美学か)の本も書いていて、昔の文化人には必読書だった模様。

その風潮は20世紀初頭の日本にまで伝わっていて、実は西田幾多郎もゼンパーの本を読んでいたりします。


ゼンパーはリヒャルト・ワーグナーと親友で、彼の設計したドレスデンのオペラ座(Semperoper)は、タンホイザーの初演の地です。革命にも参加しました。モダニズムの先駆者アドルフ・ロース(コルビュジエの先生?)も、実はゼンパーを尊敬していました。(ちなみに、ロースは「装飾は罪悪」とは言っていないと私の思うのですが...)


ゼンパーの師匠は、カール・フリードリッヒ・シンケル。ベルリンを中心に活躍しましたが、モーツァルトのオペラ魔笛の舞台演出なども手掛けた人です。


若い頃のゼンパーやシンケルは当時隆盛の考古学に対しても興味を持ち論文を執筆、古代建築や彫刻の彩色論争Polychromiestreitに参加しました。たとえば、シンケルの古代への情熱は、残された書物の中の色鮮やかな版画作品からありありと見て取れます。私にとって、最も惹きつけられる稀覯書のひとつです...


(シンケルの本の画像を簡易に貼り付けられるものはないかと探しましたが、ちっとも出てきません。古書業界では大変権威のあるものですが、不思議なことです...なんでもあるように思えるネット上にはなんの情報もないような気がしてきました。嫌になります。

代わりに魔笛の映像を♪)